Early August Start : 山田邸 2022/04/30-05/01
今年の山田会ゴールデンウィーク企画は、OCSより1941年のスモレンスク会戦。3.5人で2日間を戦ってきました。
Early August Start 1941/08/08-09/08, Smolensk: Barbarossa Derailed - MMP (→)
スモレンスクが陥落し独軍がエリニャまで到達した8月上旬から、ソ連軍がエリニャ攻勢により同地を奪回するまでの期間をカバーした後半戦シナリオ。過去のこの手の企画ではマップ2枚以上の大型シナリオをプレイすることが多かったのですが、今回は「攻勢の緩急を体験できるよう、ほどほどの規模で比較的長いシナリオをどんどん進める」という方針から、こちらのシナリオ(マップ1枚10ターン)をチョイス。史実でもソ連軍の第2次、第3次と、2波にわたる反撃が実施された期間となります。
ちなみに本作、マップ1枚という規模感から「OCSの入門用」的に紹介されることもありますが、OCS初心者が着手する場合はイントロシナリオの次は時系列逆順でプレイすることをお勧めします。いきなり序盤戦からプレイすると、大抵の場合は大兵力のドニエプル渡河と補給路の策定でオーバーヒートする羽目になります。
というわけで今回は初日4名、2日目3名(独軍1名)でのスモレンスク会戦後半戦を開催。N村はエリニャ突出部の手当てを中心とした、ソ連軍南部を担当しました。順当にエリニャを締め上げようとしたソ連軍でしたが、対面する南部独軍はマップ南端のモギリョフ~ロスラヴリの連絡線を打通しながら、南側面のソ連軍を一掃。さらにロスラヴリから突進する構えを見せます。慌てた南部ソ連軍は、部隊をかき集めてデスナ川に防衛線を構築。これで南部からの突破は止まりましたが、相対的に兵力不足となったエリニャ方面では、早期の奪回に失敗します。
またこの間、北部ではモスクワ街道のヤールツェボをうかがう独軍と、その北の平原を回り込んでスモレンスクをうかがうソ連軍、という展開。こちらではソ連軍がヤールツェボを守り切ったところで序盤戦が終了しました。
そして訪れた8月下旬。ウクライナを重視する総統の方針により、独軍機械化11個師団、騎兵1個師団、歩兵6個師団をはじめとする主力部隊が転出。またこの対応のためソ連軍側もほぼ同規模の部隊が転出。補給も半分以下となり、両陣営ともギリギリの戦線となったところで後半戦がスタートします。
相対的に優位に立ったソ連軍は、戦線の整理を済ませると第3次反撃を開始。飛行場爆撃を重ねて初めて航空戦力でも優位に立ち、南北で大きく部隊が前進。北部ではスモレンスク北側面の要衝、ドゥホフシチーナに迫りスモレンスクまで6ヘクス(30km)に到達。南部ではロスラヴリ近郊まで戦線を押し戻します。しかし肝心のエリニャ方面では、薄くなった戦線でグロス・ドイッチュラント連隊(1ステップで10-5-4)が大暴れ。最終的には一個軍団を投入して撃退されましたが、一時はソ連軍軍司令部に迫る大惨事に。この時間稼ぎが効いて、ソ連軍も8月中のエリニャ奪回はならず。といったところで8月が終了。10ターンの完遂はなりませんでしたが、時間切れにより第8ターン(9/2)で協議終了となりました。
戦況としては、北部でヤールツェボを固守し、南部でエリニャ奪回に失敗して一勝一敗。スタフカ的にはモスクワ街道で独軍を押しとどめましたので、戦略的勝利と宣伝しておきます。参加者の皆さん、お疲れさまでした。
また今回のプロパガンダはこちら。嘘は書いてないよ!
1941年8月11日、スタフカ、ベラルーシ戦線報告。先の会戦で所定の目標を達成した我が軍は、スモレンスク東部に集結。モスクワ街道を固守しつつ、南北で反攻に転じた。 pic.twitter.com/jB5A4llYXG
— N村 (@enumura) April 30, 2022
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